大企業勤務リタイア者が、潰しがきかない!?なんて昔からよく聞きますが、大嘘です。大企業勤務者こそ、それが数年であろうと、本人が気付かないだけで、経験・知識・スキル、そして大組織の中で律してきたマインドというすごい資産をお持ちです。
人生120年時代、定年80歳時代を見据えて、セカンドキャリア、サードキャリアを考えるときに講師業を目指すなら、やはりB2B、それも大企業向けを目指さないと、安定的に喰っていくことは難しいのが現実。
メガバンクに15年弱勤務し、講師業界に身一つで飛び込んで20年間沈下せずに現役を張っている私が、大企業向けの講師のコツをすべてお教えします。
1966年 | 東京神田生まれ、新宿育ち |
1985年 | 教育学部 受験失敗 |
1987年頃 | ディズニーランドに憧れて、「カヌーのお兄さん」としてアメリカ川を漕ぐ |
1990年 | メガバンク入社 卒業までずっとリクルーター |
2003年 | メガバンク卒業し、講師の世界にダイブ |
2005年 | 大企業向け人材育成会社(ボディチューン・パートナーズ) 設立 |
2007年 | 健康スポーツビジネスの講師業の社団法人 設立 |
2012年 | 執筆開始(~2022年現在、10冊上梓、講師・営業・健康分野) |
2016年 | 博士後期課程(満期退学) |
現在に至る |
昭和46年東京生まれ。海外と日本をつなぐ「イベントプロデューサー」として活躍するも、コロナの影響で収入が限りなくゼロに!情報発信のために片手間でやっていたYouTubeに本気で取り組む。スマホひとつを手に自身で撮影した動画を自身の手で編集〜配信し、1年でチャンネル登録者数4万人、3年で12万人を達成。 再生回数10万回を超える動画は50本以上。動画1本での最高収入50万円(2022年末石田調べ)
*著書に、『日本人の知らないアゼルバイジャン』『越境せよ!』『オイルマネーの力』『ドバイ株投資完全マニュアル』など海外のビジネスや投資に関する書籍多数。
こう見えて本家の長男なんです(笑)新潟にUターン就職し定年まで勤務する。。はずでした。ところが某地銀の内定式で「こんなんじゃ潰れる、、、」と予想し(実際に3年後に破綻)内定辞退したことが私と「キャリア」の出会いです。
頭が悪いので、自分で直接見て、聴いて、体感したものしか信じられない、というタイプです。だから人生、何でもまずは実際に自分でやってみる主義のまま生きてきました。おかげさまでいまに至っています。あらゆる人の出会いとご縁に感謝です。
私の強みはのべ7,000社/2万件以上の求人案件を担当し、1万5千人以上のキャリアカウンセリングに基づく「キャリアプロファイル力」です。自身の適性を言語化すること、マッチする仕事・環境をご提案する能力をBFSで少しでも活かせれば、少しでもお役に立てたら、それは本当に嬉しいです。
1970年 | 新潟県柏崎市に生まれる |
1994年 | 大学卒業するも内定先の銀行を辞退したため、就活やり直しに。結果、フリーター生活にハマる。 |
1997年 | 新潟にUターン就職。柏崎青果株式会社入社。 |
1998年 | アデコ株式会社(総合人材サービス業)入社。 |
2002年 | 企業内ベンチャー起ち上げに参画。事業企画と人事を担当。 |
2006年 | 株式会社リクルートエグゼクティブエージェント入社。 |
2009年 | 退職して起業(1回目)。 |
2018年 | 創業10期目で会社を売却。その後2回目の起業。株式会社求人を設立。 |
現在に至る |
長男だったこともあり、弟の面倒を見るために26歳で起業。地元の信金に融資を依頼するも学歴も経験もないため塩対応。どうしたら銀行がお金を貸したくなるかを徹底的に研究。お陰で資金調達・財務が自然と強くなった。
2008年リーマンショックで大手ゼネコン破産に伴い大きな負債を抱える。2011年の震災をきっかけに「生きているだけでも有り難い」と思い事業清算へと舵を切る。
その後は財務・資金調達の経験をいかして、監査役・社長室長・顧問などを歴任し、現在に至る。好きな言葉は「Belive in yourself ~自分を信じて諦めない~」。
1963年 | 東京青山生まれ |
1978年 | 高校入学時に家族が愛知県に移住したため一人暮らしを始める |
1980年 | 高校中退 |
1982年 | 生計を立てるためトラック運転手になる |
1989年 | 会社設立 |
2014年 | 財務・資金調達の経験をいかして複数の企業で顧問・監査役・社長室長を歴任 |
現在に至る |
精神科医になりたいと考えて医学部に入ったものの、基本的には投薬治療を重視する精神科医療に興味が持てませんでした。
「普通のお医者さん」になるために外科・内科での4年間の研修を経ましたが、「私がやりたいことは臨床医ではないのだ」と気づいてしまいました。
この先、どうやって生きていけばいいのだろう…と途方に暮れていた時、母校の研究室に拾ってもらい、産業医の仕事に出会いました。
産業医として企業の中ではたらく人達と関わる中で、社会が安全安心ではないこと、自己否定したり自分責めをすることが、結果的に心身の健康を損なうということを思い知ることになります。
現在は産業医の仕事の他に、会社や社会に心理的安全性を作っていくこと、個人の自己受容・自己理解をサポートしていくための様々な活動を行っています。
選択肢がないことが精神的な健康を損なうので、「会社を辞めても食いっぱぐれない。自分で稼ぐためのスキルを身につける」というBFSの趣旨に賛同し、起業するための心理的なブロックを外すためのお手伝いをさせていただきます。
1976年 | 兵庫県に生まれる |
2000年 | 千葉大学医学部医学科卒業 |
2011年 | ヒューマンハピネス株式会社を設立、代表取締役就任。 |
現在に至る |
初めてIT業界に足を踏み入れた時は金融業界のシステム開発のプロジェクトでした。もともとはドトールの店長だったのですが、「これからはITだ!」と未経験で転職。パソコンも持ってなかったので結構大変でした。それからいろんな業界のシステム開発のプロジェクトを経験しました。流通、航空貨物、浄化槽の管理、財務会計、図面管理、等々を経て医療業界の仕事を行った際にこれだと思いました。それはお客様との近さ、システムの全体像、使っている所が見える。という面白さでした。
医療業界のITエンジニアの面白さをみなさんにも伝えたいと思い今回の講座を開きました。これをきっかけに医療ITエンジニアになるもよし、私とは逆に他の業界に流れて行くもよし。ITエンジニアになるきっかけになればよいなと思っています。
1972年 | 北海道釧路市生まれ |
1991年 | 高校卒業後浪人生で上京 |
1996年 | ドトール勤務 |
1997年 | IT業界へ転職 |
2001年 | 個人事業開始 |
2002年 | 医療IT業界との出会い |
2005年 | 法人化(サイバーグリーンシステム有限会社) |
2020年 | 会社名変更(株式会社ザイデフロス) |
現在に至る |
小さな頃からいちびり精神に溢れ、回りを笑わせるのが大好き。商売人であった父の背中を見て、大人になったら自分で商売をしようと決意。2社でサラリーマンを経験をした後に、30才で友人と販促の企画会社を協同設立。12年間経営に参画するも、ビジネススクールで学んだ「マーケティング」の可能性に惚れ込み、改めて起業。以来、なにわのマーケティングコーチとして年間100本以上の講演、研修に登壇。妄想に留めずに商品開発、サービス開発、店舗開発なども実践している。無から有を生み出すスクールで皆さんと一緒に知恵を絞る機会を楽しみにしています。どうぞよろしゅうに。感謝!
1960年 | 大阪生まれ |
1982年 | 大学卒業後、印刷会社へ就職 |
1985年 | 広告代理店へ転職 |
1991年 | 友人と共に販促の企画会社を設立 |
2003年 | 改めてマーケティングコンサル会社を設立 |
2006年 | グロービスオリジナルMBAプログラム修了 その後は大阪府、大阪市、大阪商工会議所、琉球大学などで登壇 関西ファッション連合でSDGs推進サポーターも務める |
現在に至る |
平凡な大学を卒業して入社したのは社員15名のベンチャー企業。そこでは中小企業経営者に対して「新卒採用」を提案する日々を過ごしました。
5年で退職した当時の私は27歳。時は2002年。サッカー好きだった私は自国開催のワールドカップにワクワクしながらスポーツバーを「開業」しましたが、素人同然のお店が繁盛するわけもなく5年で廃業しました。
2007年からは大手企業を中心とした企業人事に対して「人材・組織育成」を提案する仕事に就き、この仕事に心地良さを感じ、延べ100社を超える上場企業とお付き合いし、現在も続けています。
中小オーナー向けの仕事、個人事業主としての仕事、大手人事向けの仕事と異なる分野での挫折経験が今の私をつくっているのだなと感じます。
BFSでは受講生の気持ちに寄り添い、共に考えながら、新たな商売の旅立ちに携わりたいです。
1973年 | 神奈川県川崎市育ち |
1997年 | ベンチャー企業入社 |
2002年 | スポーツバー開業 |
2004年 | スイーツカフェ開業 |
2007年 | スポーツバー、スイーツカフェ廃業 |
2014年 | たかまり株式会社設立 株式会社ブランドファーマーズ・インク設立 |
現在に至る |
2002年、営業マンを辞めて飲食未経験ながらバーを開業しました。バーを始めた理由は、お酒が好きだったということもありますが、それ以上に「将来人生を振り返った時に、自分のお店と言える形に残るものが欲しかったから」です。
現在はネットの普及により、実際の店舗を持つ必要性が薄れているように感じる方も多いかもしれません。ただ、そんな人と会う必要性が減っていく時代だからこそ、実際に人と会う時の「場所としての店舗」の重要性が増していくのではないか、と私は考えています。
店舗商売は固定費も高く、決して効率の良い商売とは言えません。でもやはり、そんな商売を19年間やってきて思うのは「お店を持つ商売ならではの達成感がある」ということ。
今回のプログラムは、開業当時の自分の失敗を振り返り、「こんなサービスがあれば助かった」という思いをもとに考えました。私の実体験に基づくプログラムが、皆さんの店舗商売における達成感を味わう助けになれば嬉しいです。
1975年 | 東京生まれ |
1998年 | 日本大学文理学部 英文学科卒業 営業職として就職 |
2001年 | 大阪に転勤 |
2002年 | 会社を辞めて東京へ戻り、バーを開業 |
2017年 | 個人の方へ向けた開業、集客サービスを開始 |
2020年 | ビール醸造を開始 |
2021年 | 直営30店舗目を出店 |
現在に至る |
「英語が苦手、数学と物理が好き」という消極的な理由から国立大学の工学部へ進み、外資系コンピューター会社へ入社してエンジニア職となりました。
大学生の頃に抱いた「もの書きになりたい」という夢を忘れかけていた頃、30歳を目前にして会社を辞め、自分を見つめなおして「もの書き」を目指すことに決めました。ライターになるべく、編集プロダクションの門を叩いたのです。フリーランスになってからは、ライターの仕事に加え、ポッドキャストなどの仕事もしています。
思えば、エンジニア職には「エモさ(感情や情緒)」が足りませんでした。ロジカルなことも好きですが、エモさも好き。どちらも私なのです。ライターになったばかりのころは「エモさ」から離れた仕事が多かったものの、少しずつインタビューなどの心が動く仕事を増やしてきました。
私は、幼少期や学生時代に小説や絵を描いても、恥ずかしくて人に見せられなかった経験があります。そのためか、「クリエイティビティ(創造性)は壊れやすく、大切に扱うべきもの」と考えています。どんな人の中にもクリエイティビティはあると信じており、どんな人もその力を発揮してほしいと思っています。
1975年 | 東京生まれ(群馬育ち) |
1998年 | 外資系コンピューター会社に入社しERPエンジニアに |
2005年 | ハワイへ短期留学(リゾート&フラ&英会話) |
2005年 | 編集プロダクションに入社しライターに |
2016年 | Podcast番組「安田佳生のゲリラマーケティング」のナビゲーターをスタート |
2017年 | フリーランスのライターとして独立 |
2019年 | 「アウトプット相談/ライティング相談」をスタート |
2021年 | 株式会社writeln(ライトライン)設立 |
2021年 | 「ゲームdeコーチング」の事業をスタート |
現在に至る |
私は一度きりの人生だからこそ、楽しい仕事がしたいと思って起業したタイプで、 世界を変えたいとか、すごいプロダクトを作りたいとか全く思っていない起業家です。
この資本主義社会において楽しく生きるためには、 個人でも稼ぐ力を高める必要があると思い、14年間向き合ってきました。
小規模のメディアビジネスを長年支援してきたからこそわかる、経験をベースに個人でメディアを持って稼ぎ始めるためのきっかけをご提供できればと思います。
1984年 | 大阪府堺市生まれ |
2005年 | 奈良工業高等専門学校卒業、松下電器産業株式会社(現Panasonic株式会社)入社 |
2008年 | a-works株式会社創業 |
現在に至る |
僕はデザイナーです。またディレクターやプランナーでもあり、イラストも描きますし、動画を作ったり、配信もしたり…、デザインの講師をすることもあります。そう、全方位になんでもやっていて、デザイナーという肩書では収まらなくなりました。そこで今では「デザインの仕事をしてる人」と名乗っています。
デザインの世界に入って10年以上経ち、まだまだなところも多いですが、長い間デザインに向き合うことで生まれたのが、「デザイン思考」です。
僕の考えるデザイン思考は、カッコいいオシャレな見た目のデザインとは別に、伝えるためにデザインはあるということ。誰に何のためにどうやってどんなふうに伝えたいか、そこを考えるのがデザインなんです。
伝えるデザイン思考は、人生にも仕事にもどんな分野にも役に立ちます。伝えることはコミュニケーションにも繋がりますからね。デザイン思考から発展するいろいろな学びを、受講生の皆様に共有できたら幸いです。よろしくお願いいたします!
1983年 | 大阪生まれ。社会人までずっと大阪です |
2007年 | ビルメンテナンス・エアコン会社に就職 |
2009年 | 独学でデザインの勉強をしてデザイン会社に転職 |
2011年 | フリーランスに。ただし食べていけず講師の仕事と兼業していくことに |
2016年 | やっとデザインの仕事だけで生活できるように |
2022年 | 株式会社パーキーパット・デザインズ設立(7月予定) |
現在に至る |
19歳、大学1年生の時に占い師としてデビューして以来、一度も就職を経験することなく、個人事業主として活動し続けてきました。
本音を言えば、普通に働くことを避けたいという気持ちでここまで歩んできたように思います。
やりたくないことを避けるためならどんな努力でもする。
怠惰を求めて勤勉に行き着くことこそが、個人事業主の生き方だと思っています。
つまらない生き方をしている人の商品は誰も買いません。
すべての個人事業主はクリエイターでありエンターテイナーであるという前提で、自分のキャラクターを生かして、人を楽しませながら商品を買ってもらう方法を伝えます。
あなたの魅力と、それにぴったりあったマーケティングのやり方を探しましょう!
1988年 | 北海道札幌市に生まれる |
2007年 | 大学進学のために上京して占い師になる |
2011年 | 一瞬の迷いの後、安定の誘惑を振り捨てて、就職をせずに占いの道に専念 |
2015年 | 電話占い師として活動開始。以後は、自宅でマイペースに働ける環境を手に入れる |
2016年 | 趣味で始めたプログラムが収入に。占い以外の仕事を初めて経験した28歳の夏 |
2017年 | 電話占い新人採用試験の審査員を担当 |
2019年 | 著書『はじめよう電話占い師』刊行。以後、講師として多方面に活動 |
現在に至る |
経営していた会社が2011年に倒産し、私も自己破産しました。会社の借金は47億円。個人保証の額は36億円にも上りました。全財産を失うことは大変でしたが、それ以上に大変だったのは社員への依存体質が身についていたことです。創業者である私は「ひとりでも生きていける」とたかを括っていました。
しかし現実は厳しいものでした。社員がいないと何もできない。会社から離れると食べていけない。その事実を突きつけられ、生きていくためにコツコツとスキルを磨きました。個人で集客するための手法も研究しました。それから5年の歳月をかけ、ようやく個人事業のベースができたのです。
今から考えれば「こうしておけばよかった」「こうやったらもっと早かった」ということがたくさんあります。その経験とノウハウを集めてつくったものがBFSカリキュラムです。
1965年 | 大阪府堺市生まれ |
1989年 | オレゴン州立大学(米国)卒業 |
1992年 | 株式会社ワイキューブ設立 |
2011年 | 株式会社ワイキューブ民事再生、自己破産 |
2012年 | 株式会社安田佳生事務所設立 |
2014年 | 株式会社ブランドファーマーズ・インク設立 |
現在に至る |